ーー駆け足でやりたいことをやって日々を生きること。じっくりと日々を味わうこと。それは反対のように思えて、実はほとんど変わらないことだった。
今回ご紹介させていただく作品は、清水晴木・著『さよならの向う側』になります。続編に『さよならの向う側 i love you』もありまして、2022年5月現在、ドラマ化も決定しているそうです。
みなさんは、もしも自分が死んだ後に、最後にもう一度だけ現世の人間に会えるとしたら、誰に会いたいですか? 家族や友人、学生時代の恩師、大好きな芸能人などなど、会いたい人はたくさんいるかと思います。
ただしそこに「①現世にとどまることのできる時間は24時間」「②自分が死んだことを知っている人間とは会うことができない」という制約があったとしたら?
②については自分だとバレなければ大丈夫という抜け道も一応存在するため、別人に成り済まして会うという選択肢もあるにはあります。。
うーん、やっぱり私は家族に会いたい。。。限られた時間の中で、自分の持てる限りの知恵を振り絞って、家族に、ずっと愛しつづていることを、ずっと見守っていることをどうにか伝えたい。それができないなら正直意味がないなとも思ってしまう。今の立場でできうる想像の範囲では、そんな感じです。。
生きている間にだって、伝えようと思えばいくらでも伝えることはできるけれど、まだ心のどこかで「ずっと一緒にいられる」と考えてしまっているし、そう考えたいし。。
まだまだ、家族を置いて自分がこの世を去ってしまうという未来に対しては、とても消極的な想像しかできません。
ところで、古代ローマの言葉に「メメント・モリ(memento mori)」というものがあります。意味は「死を想え」。私は勝手に「死を強く想うことが、今を生きる情熱へと繋がる」みたいな言葉として捉えています。
私は人生はとても短いものだと感じています。でもやっぱりやりたいことは多くて。全部をいっぺんにやろうとするときっと混乱するから、まずは目の前のことに取り組むのだけれど、ときどき「これでいいのかな?」みたいな迷いも生じたり。。
人はそうやって、自分の本当に大切なことを見つけていくんじゃないかなと思うんです。そして、死への意識が強まるほどに、大切なことの焦点も定まっていくんじゃないかなって。
死が迫れば迫るほど(死を想えば想うほど)に、現実の自分と向き合う情熱も強くなる。
そういう解釈なのかな。
この作品は、一言に言えば「”命”と”愛”の物語」。突然の死を迎えてしまった5人の主人公たちが、何を考え、最後に何を残すのかという模様を描いた全5編からなる物語です。
死後に初めにたどり着く場所が「さよならの向う側」という乳白色の何もない空間。そこに佇むのは「案内人」。死者に最後のチャンスを与える人。チャンスとは、上にも書いた「24時間の時間制限の中で、自分の死を認識していない人に会える」というもの。
各章で各自それぞれがたどり着く答えを前に、、正直いいます。全部泣きました。泣かないわけがありません!
まさしく死に直面した主人公たちが情熱を注いだ答えが、間違っているわけがないじゃないですか。そこに描かれるは最大限に膨れ上がった真実の愛、信頼、命の尊さ・儚さ、生きた証。
人との繋がりを懸命に感じ取ろうとした彼らだからこそ、生み出せたもの。。成し遂げたこと。。
生きている間、私たちはずっと死に向かっているんですよね。授かった命をその間に高らかと燃やせるかどうかは、結局自分次第なんだと思います。
この物語を読んで、私はそう感じました。強く生きるぞー!
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